和歌山毒物カレー事件林真須美冤罪なら真犯人は?旦那子供現在や自宅住所は?

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1998年7月25日に起きた「和歌山毒物カレー事件」。

夏祭り、提供されたカレーに毒物が混入され、4人が亡くなり、63名の負傷者を出しました。

犯人とされているのが、林真須美死刑囚。

ただ、この事件には、多くのなぞがあります。

本当に、真須美死刑囚が犯人なのでしょうか。

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どのような事件だったのか?

1998年7月25日、和歌山県和歌山市園部地区で行われた夏祭りで、振る舞われたカレーを食べた住人67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送され、4人が亡くなりました。

亡くなったのは、64歳男性、54歳男性、16歳女性、10歳男児。

当初保健所は、食中毒によるものと判断。

しかし、和歌山県警は、嘔吐および下痢によって体外に排出された消化管の内容物を検査し、青酸の反応が出たことから青酸中毒によるものと判断。

ですが、症状が青酸中毒と合致しないという指摘を受けます。

警察庁の科学警察研究所が改めて調査し、ヒ素の混入が判明しました。

1998年10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で、元保険外交員で主婦の林真須美(はやし・ますみ)(当時37歳)が、別の詐欺及び同未遂容疑をかけられた元シロアリ駆除業者の夫・健治(けんじ)(当時53歳)とともに和歌山東警察署捜査本部に逮捕。

さらに、12月9日、カレーへの亜ヒ酸の混入による殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕されました。

事件当日、カレー鍋の見張り番をしていた真須美。

真須美が犯人だと認定したのは、5つありました。

1.カレー鍋に混入されていたヒ素と被告人の自宅等にあったヒ素が同一であること

真須美の自宅にあったプラスチック容器から見つかったヒ素と、犯行に使用された紙コップに付いたヒ素が「同一」とされた鑑定結果が「決め手」となりました。

これについて、真須美は、後日、このようなことを話しています。

「事件が起きた頃、私が紙コップを持ってカレーの鍋に近づいたのを見たって、マスコミに話しまくってた男の子がおったやろ。あの子、裁判に出てきてないんやで」

捜査段階で鑑定したのは、東京理科大の中井泉教授ら。

ヒ素に含まれる不純物としてスズなど4種類の重金属を調べ、これらの不純物から両者の同一性を導きました。

しかし、このヒ素が使われたとしても、これに接触は、林家族を含めて20人近くいます。

旦那は当時、ヒ素をプラスチック容器に入れて、夏祭り会場に面した貸ガレージに置いていました。

このガレージは施錠されておらず、誰でも入ることは可能でした。

2.被告人が午後0時20分から午後1時までの間、1人でカレーを見張っており、カレー鍋にヒ素を混入する機会があったこと

真須美は、ずっと次女と一緒でした。

次女もずっと一緒だったと証言しています。

真須美と見張りをバトンタッチした女性も、次女と真須美がガレージの中で一緒に並んで座って、なごやかに話をしていたと証言しています。

近所に住む女子高生は「午後0時から午後1時にかけて、白いTシャツを着て首にタオルを巻き、髪の長い女性が、1人でカレー鍋の周りを歩き回り、西鍋の蓋を開けた。そして、その女性は真須美であった」と証言。

しかし、真須美が着ていたのは黒のTシャツ。

首にタオルを巻いてもいなく、髪も長くありませんでした。

白のTシャツを着て首にタオルを巻き、髪が長く、そして西鍋の蓋を開けたのは、実は次女でした。

女子高生は、2人を見間違えていました。

次女は当時、体重約70キロ、身長約160センチと真須美と瓜二つ。

また、その場所には、4歳になる1番年下の子供もいたとのこと。

次女は、違うカレーの鍋の味見をしたそうです。

このあたりも疑問がもたれます。

3.他の時間帯において、他の者がヒ素を混入する機会がなかったこと

カレー鍋は午後3時にガレージから夏祭り会場に運ばれました。

そこでは、夏祭りの準備が行われており、多数の人が出入りしていました。

そして、午後5時から蓋が取り払われ、再度加熱。

入れ代わり立ち代わり木のしゃもじで1時間余りにわたってかき混ぜられたとのこと。

本当に、誰かが毒物を混入することができなかったのでしょうか。

4.真須美およびその家族がカレーを食べていないこと

真須美の夫が、急遽、真須美や家族を連れてカラオケに行ったそうです。

また、長女と三女を家に残しています。

しかも出かけるにあたって、子供たちにカレーを食べないようにとは指示していません。

子供たちのために、晩ご飯も用意していません。

偶然食べなかったともいえるかもしれません。

5.くず湯事件をはじめとして、真須美が過去、飲食物にヒ素を混入して他人を殺害しようとしたという類似の犯罪を行っていること

これは、事実であり、後述しています。

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裁判では?

裁判で検察側が提出した証拠は、約1700点。

しかし、直接証拠も動機の解明もできませんでした。

1審の開廷数は95回で、約3年7か月。

2002年12月11日に和歌山地裁で開かれた第1審判決公判で、小川育央裁判長は真須美の殺意とヒ素混入を認めた上で「4人もの命が奪われた結果はあまりにも重大で、遺族の悲痛なまでの叫びを胸に刻むべきだ」と断罪。

検察側の求刑どおり死刑判決を言い渡しました。

真須美側は大阪高等裁判所に即日控訴。

2審では、結審まで12回かかりました。

大阪高裁での2005年6月28日の控訴審判決で、白井万久裁判長は「カレー事件の犯人であることに疑いの余地はない」として第1審死刑判決を支持、真須美側の控訴を棄却。

真須美側は即日最高裁判所に上告します。

2009年4月21日、最高裁で、那須弘平裁判長は「動機が解明されていないことは、被告が犯人であるとの認定を左右するものではない」と述べ、動機を解明することにこだわる必要がないという姿勢を示し、「鑑定結果や状況証拠から、被告が犯人であることは証明された」と述べ、真須美側の上告を棄却。

判決訂正も5月18日付で棄却したため真須美の死刑が確定しました。

2017年現在、真須美は大阪拘置所に収監されています。

自宅のヒ素と紙コップのヒ素は違う?

鑑定に異議を唱えたのが、京大大学院の河合潤教授。

河合氏は、真須美死刑囚の弁護団から鑑定について意見を求められていました。

そして、2009年、自宅のヒ素と紙コップのヒ素は異なるものだという衝撃の結論を出します。

河合氏は、ヒ素に含まれていた不純物のモリブデンや鉄の分量が、両者では明らかに違い、まったくの「別物」としました。

真須美死刑囚の家にあったヒ素は60%くらいの濃度。

ところが、カレーに入れられていたヒ素は98%。

純粋に近い濃度のヒ素でした。

捜査段階で鑑定した中井氏は、「私は検察側から、プラスチック容器と紙コップに付いたヒ素の同一性の証明を求められました。鑑定して結果が同一だったのでそう鑑定書に書いた。きれいに鑑定できたという自信があり、検察側も満足していた。河合氏の理論は学術的。鑑定書と学術論文は違う。河合氏の指摘はズレている」と反論。

これにより、真須美死刑囚は、2009年7月に再審を請求していました。

しかし、裁判所は「濃度の問題は、もう1つ別の入れ物を経由して入れたかもしれない。もしくは、(ヒ素濃度の)薄い所ばかりがカレーに入って、濃い所は残ったかもしれない」という、新しい仮説を立てたとのこと。

不純物が違うという指摘も、「1回しか測っていないから、測り間違えかもしれない」としたようです。

こうして、2017年3月29日付で和歌山地裁(浅見健次郎裁判長)により棄却されました。

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鑑定に疑惑?

2012年12月17日、和歌山県警は、科学捜査研究所の主任の男性研究員(当時50歳)を、証拠品の鑑定結果を捏造した証拠隠滅、有印公文書偽造・同行使の疑いで書類送検し、停職3カ月の懲戒処分としました。

研究員は2010年5月から2012年6月まで、変死事件など7件の鑑定で、過去の事件のデータを流用したり、所長の公印を無断で押したりしていたことがわかりました。

また、この研究員は、1998年7月に起きた「和歌山毒物カレー事件」で、殺人に使用されたヒ素の鑑定にかかわっていたとのこと。

研究員は、県警監察課の取り調べに対し、カレー事件での捏造は否定していたそうです。

しかし、他の事件でのヒ素鑑定について、「写真のピントがあっておらず、チャートの波形が悪いと見栄えが悪いので、過去のものを流用した」「上司と折り合いが悪く、見栄えが悪いと叱られると思った」などと答えたといいます。

その後の捜査で、1998年から2003年にかけての19事件でも捏造があったことが発覚。

カレー事件は、まさにこの期間にあてはまります。

県警は、「(研究員は)カレー事件にかかわったが、捏造はしていない」と話していますが、真実はどうなのでしょう。

研究員は、依願退職したとのことです。

真須美死刑囚の言い分

死刑が確定しても、真須美死刑囚は、無罪を主張しています。

「私が1審の公判で黙秘したんは、一緒に保険金詐欺で捕まった主人を先に外に出すためだったんよ。私の裁判は10年かかるって言われてたから、主人に子供たちの面倒をみてもらおうと思ったんよ」

「なんで私が、カレーにヒ素なんか入れんとあかんの。あの事件がなかったら今頃、うちはマンション建ててるわ」

そもそも、真須美死刑囚が捜査線上に浮上したのは、事件前に旦那と一緒にヒ素を使って保険金詐欺を繰り返していた疑惑が発覚したため。

確定判決でも2人は共謀のうえ、複数の保険会社から約1億7000万円の保険金をだまし取ったとされています。

しかし、実際には、夫婦は保険金詐欺で10億円はせしめていたようです。

「だから10年くらいはしゃあないと思うんよ。でも、やってもないカレー事件のことで死刑はありえんわっ」

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旦那などに訴訟

2012年7月、真須美死刑囚はカレー事件の裁判で健治氏が虚偽の証言をしたとして、100万円の損害賠償を求めて夫を提訴しています。

また、真須美死刑囚は、マスコミ関係者やカレー事件の地元住民、生命保険会社に勤務していたときの同僚など、計50人ほどにも訴訟を起こしているようです。

しかし、獄中の真須美死刑囚は、弁護士も立てていないため、訴訟の遂行は難しかったみたいです。

かつてメディアを相手に500件以上の訴訟を起こした「ロス疑惑」の三浦和義氏(2008年自殺)が、生前、真須美死刑囚を支援していたようです。

三浦氏は「真須美さんもマスコミを訴えればいい。手紙で方法を書いておいたし、面会でもそう伝えた」と語っていました。

真須美死刑囚は「三浦の兄やん、民事で訴えちゃるって、ええこと教えてくれた」と実行したようです。

真須美死刑囚とは?

真須美死刑囚は、1961年7月22日生まれ。

小さな漁村で兄2人の3人兄弟の末っ子として生まれます。

父親は地味な人。

母親は、外向的でまめな性格で、保険の外交員として活躍しました。

経済的な不自由はなく、当時この地域としてはめずらしくピアノも買ってもらい、小遣いも十二分にもらっていました。

思春期になった真須美死刑囚は、やせていて、どちらかといえば、内気で恥ずかしがり屋の清純な女の子だったとのこと。

その一方で、負けず嫌いの激しい性格だったようです。

高校卒業後は、大学付属の看護学校に入学。

看護学校の2年生になった19歳の時、真須美死刑囚は後の旦那と知りあいます。

当時、真須美死刑囚は、看護学校の寮に入っていましたが、しつけや規則の厳しい寮生活で、窮屈な思いをしていたようです。

「こんな生活は嫌だ。自由が欲しい」と語っています。

旦那は、シロアリ駆除会社を経営する当時35歳の会社社長。

結婚もしていましたが、派手な車で真須美被告を迎えに来ては、高価なプレゼントしたりしています。

真須美死刑囚は、しだいにこの男性に恋愛感情を持ち、魅かれていきます。

1983年、真須美死刑囚は、元妻と離婚した旦那と結婚します。

旦那は、3度目の結婚でした。

しかし、すぐにトラブルが起こります。

披露宴での行き違いから、旦那は「てめえ、おれをコケにするつもりか! 恥をかかせやがって!」と、新妻の真須美死刑囚を平手で殴りつけます。

2人の結婚生活はこうして始まりました。

夫婦生活は、家賃3万円の3部屋のアパートから始まります。

真須美死刑囚も、ウエイトレス、化粧品販売などで働きました。

結婚の翌年1984年には、新築一戸建ての家を3500万円で購入。

普通の住宅ローンを組んでいました。

この間、2人の女の子が生まれています。

旦那は、金持ちの会社経営者で、大勢の人に慕われている親分肌の男性。

しかし、旦那はギャンブル好きが高じて、しだいに仕事をしなくなり、廃業してしまいます。

真須美死刑囚は、不満が溜まります。

「あんなおっさん、早よ死んだらええんや」
「昨日、おやじとケンカして殴られたんや。ほんま腹立つ。あんなおやじいらん。早よ死んだらええのに」
「アタシは、カスをつかんで結婚してしもた。仕事も続けんと、競輪でスッてばっかりしくさって、早よ死にさらせ」

収入のなくなった旦那と家族を支えたのは、真須美死刑囚の保険に関する知識でした。

夫婦は保険金詐欺を行い、大金を手に入れます。

1993年5月18日、旦那はバットにより右膝を骨折させ、バイク事故だと偽って後遺障害保険金を2052万円詐取。

1995年には、和歌山県和歌山市園部地区にある120坪の家を7000万円で購入。

この年の10月、真須美の母親が、67歳で、「急性白血病による脳出血」により死亡。

真須美死刑囚は、保険金1億4000万円を手にします。

1996年2月13日、真須美死刑囚がわざと両足に火傷を負い、バーベキューの炭火に自転車で突っ込んだと偽って入院給付金を459万円詐取。

1997年2月6日、旦那がわざとヒ素入り葛湯を飲んで、保険金を詐取しようとして失敗。

1997年9月22日、知人男性にヒ素入り牛丼を食べさせて保険金1億2910万円を詐取しようとしましたが、死亡せずに入院給付金539万円を詐取。

1997年11~12月には亜ヒ酸を飲んで後遺障害で入院している旦那の後遺症を重く見積もって、高度障害保険金を1億3768万円詐取。

1998年2月には、高級リゾートマンションの最上階を購入する契約。

1998年3月28日、再び知人男性に保険金1億2910万円を詐取するために亜ヒ酸入りうどんを食べさせましたが再び失敗。

真須実死刑囚が掛けていた40件を越す保険料の支払いは、毎年2000万円を越えていました。

詐欺を働いてから、男の子を1人産んでいます。

そして、同年7月25日、カレー毒物事件。

事件発生当初の報道では、林家の悪評が伝えられました。

「家のそばの用水路にゴミを捨てる」
「年がら年中、職業不詳の男たちが家でマージャンをしている」
「夜中でもカラオケをやる」
「車のクラクションをけたたましく鳴らす」

しかし、真須美容疑者の地元での評判は、意外に悪くなかったようです。

地元住民たちの悪評はあくまで「林家」。

嫌われていたのはもっぱら風貌がコワモテだった旦那やそのマージャン仲間の男たちのようです。

真須美死刑囚個人を事件前から悪く思っていた地元住民もいないわけではないが、ほとんど見当たらないとのこと。

真須美死刑囚が行きつけだった地元の美容院の女性は、「事件前、あの人のことはニコニコして、愛想のいい人だと思ってたんですよ。でも事件が起きた後、マスコミの人が次々取材に来て、色々話を聞かされるでしょ。それで、そんな悪い人だったのか……と思うようになったんです」と話します。

真須美死刑囚は、壮大な保険金詐欺に手を染めましたが、地元では波風を立てずに生きており、事件以前から地元で嫌われていたというのもマスコミが広めたとも思われます。

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林死刑囚の家族の現在は?

2017年4月26日の産経新聞の報道です。

 「人間として最底辺まで落ちた」。関西地方の男性(29)はこの19年近く、殺人犯あるいは死刑囚の息子という重い十字架を背負って人生を歩んできた。男性の母親は、平成10(1998)年に発生した「和歌山毒物カレー事件」の犯人として逮捕され、殺人罪などで死刑判決が確定した林真須美死刑囚(55)、その人だ。

 地域の夏祭りで出されたカレーを食べた住民4人が死亡、63人が急性ヒ素中毒になった凶悪犯罪は、事件そのものの衝撃はもちろん、テレビインタビューに冗舌に応じたり、自宅前で待ち構える報道陣にホースで水をかけたりした林死刑囚の強烈なキャラクターと相まってメディアを席巻。ワイドショーが林死刑囚の一挙手一投足を追い続ける「カレー狂想曲」が繰り広げられた。

 間もなく林死刑囚は逮捕されるが、当時から一貫して無実を主張している。カレーにヒ素を混入したのは本当に母なのか。そんな葛藤に苦しみ続ける長男が、これまでの壮絶な歳月を振り返った。

 金庫の中に保管された数億円の札束、アクセサリー、腕時計など貴金属類、それに「ニンテンドー64」や「セガサターン」といった複数のゲーム機器…。カレー事件前、和歌山市園部地区の林家には、大金やぜいたくな品々があふれかえっていた。

 「おもちゃでも何でも、欲しい物は百貨店の外商で買ってもらえた。ふざけて札束を積み木のようにして遊ぶこともあった」。長男は通常とはかけ離れた幼少期の“異様”な暮らしぶりをこう打ち明けた。

 収入のからくりは両親が繰り返してきた保険金詐欺だ。父親(71)は以前、シロアリ駆除の仕事をしていたことから薬剤の知識があり、昭和63年ごろ、自らヒ素を口にして2億円もの保険金を受領。その後も元保険外交員だった林死刑囚とともに、詐欺を繰り返したとされる。金庫には多いときで5億円近くが保管されていたといい、長男は「今思うと、両親はお金にとりつかれていたのかもしれない」と話す。

 そんな破天荒な暮らしは小学4年の夏に発生したカレー事件とともに一変していく。現場の園部地区には、一般マスコミだけでなく、ワイドショーのクルーなども張り付き、前代未聞の凶悪犯罪を引き起こした犯人像を追う報道合戦が繰り広げられた。

 大勢の記者やカメラマンが大挙して押し寄せた当初の様子を、「不謹慎だが、お祭り騒ぎのようだった」と振り返る長男。だが、1カ月が過ぎたころから次第に報道陣は林家を集中的に取材するようになり、幼心に自分の家が疑われるのを感じていた。

 長男も各社の記者から両親の様子について探りを入れられるようになったという。このころから、林家では毎夜、「本当はどうなんな(どうなんだ)」とカレー事件への関与を問いただす父親と林死刑囚の口論が繰り返された。

「ママがやったん?」。長男も、こう母親に問いかけたことがあったという。「やるはずがない」。ぴしゃりと否定されたが、結局、事件から約2カ月後、両親は保険金詐欺容疑で和歌山県警に逮捕された。当日は長男の小学校の運動会。前日に、来てくれるかどうかを尋ねる長男に、林死刑囚が「絶対行ってあげる」と応じたのが、逮捕前の最後の会話だったという。

 長男の両親は千人以上の報道陣が取り囲む衆人環視のもとで警察に連行された。「林さん、林さん」。午前6時ごろ、自宅のドアをノックする音がして、まもなく警察官が踏み込んできた。テレビをつけると、見慣れたわが家が報道陣に取り囲まれている光景が写っていたことを覚えている。

 林死刑囚は同年12月、カレー事件に関与したとして殺人などの容疑で再逮捕。殺人犯の息子という重い十字架を背負うことになった長男を待っていたのは、預けられた養護施設でのいじめだった。同じ施設に入所していた少年らから日常的な暴力を受けたといい、顔に傷ができれば職員らにいじめが発覚することから主に体を狙われ、生傷が絶えなかった。

 「ポイズン(毒)」。いじめを受けていた少年らからこんなあだ名で呼ばれることもあったという。給食のカレーに乾燥剤を入れられ、気付かずに食べておう吐したことも。何不自由なく暮らしてきた自分の身に、なぜこのようなことが起きているのか、信じられなかった。

 十字架は、数年後に施設を出てからも重くのしかかった。生計を立てるため飲食店でアルバイトをしていたとき、林死刑囚の家族だと分かると「衛生的に良くない」と言われ、その日のうちに解雇されたという。

 長男は現在、運送会社に勤務。保険金詐欺の刑期を終えて出所した後に脳出血で倒れ、車いす生活となった父親の自宅にも頻繁に行き来している。

 「カエルの子はカエル」。施設にいたころ、言われた言葉の悔しさから「万引一つでもすれば『死刑囚の息子だから』と後ろ指を指される」と道を踏み外さないように生きてきた。

 林死刑囚と面会するのは年に1回程度。最後に会った昨年6月には歯が抜け落ちてしまっていた。かつて、報道陣に水をかけた強気な性格は変わらず、「早めに老人ホームに入ったと思っている」とうそぶいていたというが、気丈にふるまうのは子供たちの前だけ。父親には「死刑台に連れて行かれる夢を見る」と弱音を漏らしたこともあったという。

 林死刑囚は死刑確定後も無罪主張を変えておらず、21年には和歌山地裁に再審請求を申し立てた。自宅などから見つかったヒ素と、現場に残されたヒ素は別物と主張したが、請求は今年3月、棄却された。林死刑囚の弁護団は大阪高裁に即時抗告しており、今後も無実を訴え続ける構えだ。

 そんな林死刑囚も、長男にとっては子煩悩で優しい母だった。国内外の観光地に頻繁に連れていってくれたり、長男やきょうだいの成長ぶりを写真に撮ってはアルバムを作ってくれたという。

 長男は事件から19年もの歳月が経過した今でも、そんな母と、メディアから希代の犯罪者と指弾され続けてきた林死刑囚が重ならずにいる。母は、カレー事件の犯人なのか。一方では事件で被害に遭った多くの人がいるのも事実だ。長男は苦しい胸の内をこう明かす。

「家族だから、母を信じたい思いがある。何度も葛藤を繰り返している」

引用元 産経WEST

犯罪者の子供は、このような目にあったしまいます。

にも関わらず、長男は、犯罪には走りませんでした。

次女は、法の勉強をしているという話もあります。

真須美死刑囚の無実を証明するためかもしれません。

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自宅の現在は?

真須美死刑囚の当時の自宅は、和歌山県和歌山市園部。

事件後、子供たちは施設に預けられ、無人状態となります。

そこで、悪い奴をやっつける、という感じで、落書きを繰り返されます。

そして、2000年2月16日、無職宮本勇治(当時37歳)という男により、ライターで放火され、全焼してしまいます。

宮本宅と林宅は200メートルしか離れていませんでしたが、両者は面識もなく事件とも無関係だったとのことです。

土地は、競売にかけられ、666万円で落札。

しかし、落札者は残金を払わず、再度競売にかけられ、地元自治会が380万円で落札。

入札したのは自治会のみでした。

そして、現在、公園となっています。

おわりに

直接証拠がなく、動機が見当たらないこの事件。

真須美死刑囚は、殺人をしなくとも、財産を持っていました。

本当に真須美死刑囚の仕業なのか、冤罪で他に犯人がいるのか。

冤罪だとしたら、これほどの不幸はありません。

ですが、真須美死刑囚の詐欺は、真実です。

悪いことをすれば、真っ先に疑われてしまうのですね。

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