宮崎勤取り調べや裁判は?精神鑑定結果と人肉ネズミ人間問題発言とは?

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1988年から89年、日本中を震撼させた宮崎勤元死刑囚による東京・埼玉連続幼児誘拐殺人事件。

宮崎勤元死刑囚は、1989年7月23日に逮捕され、1997年4月14日東京地方裁判所で死刑判決されます。

7年にわたる裁判のうち、3年半はほとんど精神鑑定によるものという異例の裁判でした。

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宮崎勤事件とは?

宮崎元死刑囚の犯した事件と逮捕については、こちらをご覧ください。

宮崎勤事件の詳細や場所は?余罪や未遂はなかったのか?

自宅のビデオテープと自供

宮崎元死刑囚の逮捕から自供の流れです。

  • 1989年7月23日:八王子市で幼い姉妹を狙った猥褻事件で逮捕。
  • 1989年8月9日:4人目の殺害を自供。
  • 1989年8月11日:4人目の誘拐・殺人・死体遺棄の容疑で再逮捕。
  • 1989年8月13日:1人目、3人目の誘拐殺人を自供。
  • 1989年9月2日:検察が起訴に踏み切る。
  • 1989年9月5日:2人目の殺害を自供。

警察は、宮崎元死刑囚の自宅から、5763本もの実写ドラマなどを撮影したビデオテープを押収しています。

この分析のため、74名の捜査員と50台のビデオデッキを動員。

2週間の捜査によって、被害者幼女殺害後に撮影したビデオを発見。

これにより、1989年9月2日起訴に踏み切りました。

取り調べ

逮捕直後、取り調べを行った元警視庁捜査一課理事官・大嶺康弘氏は、このように話します。

「嘘と本当を交えながら話をするんです。誘拐の仕方をきちんと話すが殺害の場面になっていくと、場所を違えたり、例えば車の中で殺しているのに、車ではなかったとか」

また、元浦和地検・樋田誠弁護士の話です。

「本人は漫画を描くことが好きでうまい。それで、殺したときの状況や死体をどうしたとか、平気で描いている。宮崎の責任能力は問題ない」

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第一審

宮崎勤の言動

宮崎元死刑囚は、警察の取り調べでは自供をしたのですが、公判では一変。

「人肉を食べた」「死んだおじいさんに捧げるための儀式」「犯行は覚めない夢の中でやった」「ネズミ人間が現れた」「ネズミ人間が木の陰から出てきた」「足でキーコキーコ動かす車に乗りたい」「俺の車とビデオを返せ」など、奇怪で不可解かつ身勝手な発言を繰り返すようになります。

そのため、2度の精神鑑定が行われ、その責任能力の有無が問われました。

裁判の期間は7年、そのうち3年半は精神鑑定。

回数は38回、そのうち15回は鑑定人を証人尋問、精神鑑定を重要視した異例のものとなりました。

精神鑑定

精神鑑定書は3つ作成されます。

判決では、3つのうち、保崎秀夫氏による第一次精神鑑定を、犯行あるいは逮捕時の精神状態と判断。

他の2つの再鑑定は、逮捕されてから時間が経っており、拘禁時間が長くなったことによるものとしました。

第一次精神鑑定の一部と考察を紹介します。

なお、宮崎元死刑囚の祖父は、1988年5月16日に他界し、宮崎元死刑囚は、最初の事件を同年8月22日に起こしています。

質問「おじいさんの葬式前後で全く変わった?」
宮崎「今思うと、全然変わった」

質問「おじいさんの骨、食べた?」
宮崎「うん、おじいさんの骨を食い切ったら、おじいさん戻ると思う」

質問「お墓にある骨を?」
宮崎「夜行って、粒状のを食べた」

質問「Aちゃん(1人目)の事件で、印象に強く残っている点を言ってください」
宮崎「おじいさんの家の物置の2階に骸骨を持っていったこと」

質問「写真撮った?」
宮崎「おじいさんに捧げるからね」

質問「陰部を撮った?」
宮崎「横にしたら写っちゃう」

質問「触った?」
宮崎「流行っているようなやり方で。一人ぼっちの子を見ると見た瞬間甘いんだ。自分が見るよう一人ぼっちの自分を見ちゃうんだ」

質問「誘ったんでしょ?」
宮崎「そんなことしない。ついてくるんだ。見た瞬間から、自分の手(の奇形)に気づいていない甘い世界に入るんだ」

質問「それから、山の方に行くんですよね」
宮崎「自分が子供のころにいた甘い世界に入っていくんだ。ずっと甘いんだ」

質問「そこで、女の子が手のことを言って、カッとなって締めちゃった?」
宮崎「私がガムを渡したときとか、向こうがこっちに手を伸ばしてきたときにできないから、甘い世界が破れて、そのときはもうネズミ人間がいっぺんにでてきた」

質問「抱きついたの?」
宮崎「覚えていない。自分がおっかなくて、ワーッとなって」

診断と精神医学的考察:
心理検査では知能低下が診られているが、少なくとも犯行当時は被告人の供述や犯行の対応、最後に逮捕されるまで被告人の犯行が露見していないことや被害者宅に出した手紙の内容などから知的な問題があるとはいえない。

ちなみに、他の2つの鑑定書は、

「犯行時、手の奇形による人格の妄想発展を背景にして、祖父の死亡を契機に離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格)などがあり心神耗弱の精神状態にあった」

「犯行時にはすでに精神分裂病にり患しており、免責される部分は少ないが心神耗弱状態にあった」

というもので、刑事責任を問えないものでした。

判決

1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決。

通常、死刑を宣告する場合、被告人の精神状態を考慮し、判決理由を述べたあと、主文を言い渡します。

ですが、この日は異例で、最初に主文を言い渡しました。

宮崎元死刑囚は、初公判から同様、表情を全く変えず、判決を聞きます。

これは、全く罪の意識がないことを表していたのでしょうか。

判決理由の原文の抜粋です。

本件一連の犯行の動機、目的は女性性器を見たい、触りたいなどといった強い性的欲求に基いており、これに遺体陵辱の場面を撮影した他人が持ってない珍しいビデオ等を所持したいという収集欲が伴ったもので、浅ましいというほかなく、成人女性の代わりに、無邪気で人を疑うことを知らず、抵抗する力のない幼女らを自己の欲望充足の対象にした、被告人の心底はまことに卑劣である。

被告人は、車を駆使して広範囲に移動し、遊びに出ている幼女らを求めて、団地や小学校付近におもむき、あるときは予め被害者を縛るためのひもやガムテープを車内に用意するなどし、団地内の路上等で一人でいる被害者を見つけると周囲に人目がないか細心の注意を払いつつ、言葉巧みに車に誘い込んだ上、遠く離れた山中まで連れ去って殺害しており、犯行を重ねるにつれて大胆になり、ついには、被害者を車に誘い込むやすぐ殺害し、遺体を自宅に持ち帰るにいたっている。

しかも、被告人は、自己の犯行に関する報道に対応して、これを遊びの題材にしつつ、子供の安否を気遣う遺族の元に、遺骨を焼いて届けたり、犯行声明文や告白文等を郵送して、遺族や社会を嘲笑するなどしており、こうした被告人の反社会手的な人格態度、遺族の心情を思いやることのない非情さも、決して感化することができない。

犯行時における精神状態と刑事責任能力について、

慶應義塾大学教授・保崎秀夫ら6名の共同鑑定意見によれば、被告人は少なくとも逮捕前は奇妙な説明はしておらず、逮捕後にされた犯行に関する説明は了解できるものであって、記憶はほぼ保たれていたと思われ、犯行時には、性格の極端な隔たり以外に特に精神病的状態にあったとは思われないとして、被告人は完全責任能力を有していたと判断し、鑑定時には簡単なこともわからないと言ったり、年齢よりも子供っぽく感ぜられたり、矛盾することを述べて、追求するとわからないと言ったり、一見すると、対抗しているように見えても、結構、周囲の状況は把握しているようであり、合目的的内容が多いことから拘禁の影響が強く表れている状態であって、精神秒状態にはないとしている。

保崎ら鑑定がその理由として述べるところによると、疑問点とすべきところはなく、その結果は簡易鑑定とも一致し、十分納得できる。

これらを踏まえて、このようにまとめています。

これまで述べてきたとおり、本件材質、犯行の回数、その動機、目的、経緯、対応、結果の重大性、社会に与えた影響、被害感情等に鑑みると被告人の刑事責任は、誠に重大というほかなく、被告人に有利な一切の事情を出来る限り考慮し、かつ、極刑を選択するにあたっては、最大の慎重な態度で臨むべきであることを考慮しても、なお、被告人に対しては、死刑を選択する以外に刑の量定をすべき途はないと言わざるを得ない。

争点となったのは、犯行時精神状態が、刑事責任を問えるかということでした。

上述のとおり、第一次精神鑑定を採用し、死刑判決となりました。

宮崎元死刑囚は、薄笑いを浮かべて出廷し、即日控訴しました。

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控訴審と上告審

2001年6月28日、東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決。

弁護側は、宮崎元死刑囚が東京拘置所で幻聴を訴え、継続的に投薬を受けていることなどをあげて、高裁に差し戻して再鑑定するよう求め、同年7月10日上告。

しかし、2006年1月17日、最高裁判所が弁護側の上告を棄却。

弁護側は判決訂正を求めますが、2006年2月1日に棄却。

死刑が確定しました。

死刑についての宮崎勤の訴え

宮崎元死刑囚は、死刑確定後、手紙の中で絞首刑に対する恐怖を訴えて、アメリカで行われるような薬殺刑を希望。

絞首台から落下する瞬間を「どん底の恐怖に陥れられ、それは人権の侵害にあたる」と主張しています。

宮崎元死刑囚は、10年以上手紙のやりとりをしていた、月刊「創」編集長・篠田博之氏に、死刑確定後、このような手紙を書いています。

絞首刑も死刑確定囚が踏み板がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどん底におとしいれされるのである。法律も残酷な刑罰を禁じている。アメリカのように薬使用死刑執行の方法にしなければならないのである。薬使用死刑執行だと死刑確定囚は『あと10分くらいで私は死んでいくのかなぁ』『なんでこんなことになったのかな』被害者遺族にはやはりすまないことになったんだろうと反省や謝罪の言葉を述べる確率がだんぜん高いためである

ですが、宮崎元死刑囚は、最後まで反省や謝罪の言葉はありませんでした。

死刑執行

2008年6月17日、東京拘置所で死刑が執行。

宮崎元死刑囚は、冷静に執行を受け入れます。

また、宮崎元死刑囚の母親は、遺体との対面後に、処置については拘置所に任せたそうです。

おわりに

宮崎元死刑囚は、著書の中で、自身の最高裁判決が大きく報道されたことを「やっぱり私は人気者だ」と語り、殺害した被害者や遺族に対しての思いのほどを問われ「特に無い。いいことができて良かったと思う」と答えています。

被害者が、こんな男に殺されたと思うと、かわいそうでなりません。

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