森本稀哲(ひちょり)スキンヘッドの理由(なぜ)は?円形脱毛症は完治?

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北海道日本ハムファイターズなどで活躍した、元プロ野球選手・森本稀哲(もりもと・ひちょり)さん(36)。

森本さんは、松坂大輔投手(現ソフトバンクホークス)と同い年で、いわゆる松坂世代です。

明るいキャラで印象に残る選手でした。

そんな森本さんで気になるのがスキンヘッドですよね。

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森本稀哲のプロフィール

  • 名前:森本稀哲(もりもと・ひちょり)
  • 国籍:日本(2007年11月韓国より帰化)
  • 出身地:東京都荒川区
  • 生年月日:1981年1月31日(36歳)
  • 身長:185センチ
  • 体重:81キロ
  • 投球・打席:右投右打
  • ポジション:外野手・一塁手
  • プロ入り:1998年ドラフト4位
  • 初出場:2000年8月2日
  • 最終出場:2015年9月27日
  • 高校:帝京高等学校
  • プロ野球:
    日本ハムファイターズ
    北海道日本ハムファイターズ(1999 – 2010)
    横浜ベイスターズ
    横浜DeNAベイスターズ(2011 – 2013)
    埼玉西武ライオンズ(2014 – 2015)

帝京高校では、3年生の時に主将、遊撃手として第80回全国高等学校野球選手権大会に出場。

3回戦・浜田高校戦で、8回表に和田毅投手(現ソフトバンクホークス)からバックスクリーンへの同点本塁打を放つも敗退。

高校通算34本塁打。

1998年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから4位指名を受けて入団。

当初は内野手でしたが、外野手へ転向。

2006年、パ・リーグ最多得点を記録し、ゴールデングラブ賞を初受賞。

同年、日本シリーズでは、優秀選手賞を受賞。

2007年には、パ・リーグ歴代6位タイの24試合連続安打を記録。

同年、2年連続でゴールデングラブ賞、初めてのベストナインを受賞。

2008年も、3年連続でゴールデングラブ賞を受賞。

2010年オフ、FA権を行使し、横浜ベイスターズに移籍。

2013年オフ、戦力外通告を受け、埼玉西武ライオンズの秋季キャンプにテスト生として参加。

そして、入団内定し、契約。

2015年シーズン中、現役引退を決断。

同年9月27日に引退試合(対楽天、西武プリンスドーム)が行われ、8回表の守備から7番・右翼手として途中出場します。

試合の最後の攻撃となった8回裏は1番打者から始まりますが、ベンチで起こった「ひちょりさんに回せ」の合言葉のもと、二死で打席が回ります。

愛されキャラが垣間見えますね。

涙を流しながら入った現役最終打席では三塁ゴロ。

引退スピーチでは打席を回してくれたチームメイトへ涙ながらに感謝の意を表しました。

プロ野球生活は、17年で通算904安打を放った、走攻守・三拍子そろった名選手でした。

「ひちょり」という名前は、「稀哲」の韓国語での発音「ヒチョル」から取って父が命名。

実家は東京都荒川区西日暮里の焼肉店「絵理花」。

野球ファンも多く集まる人気店でしたが、建物の老朽化と両親の体力的な問題のため、2013年10月限りで閉店しました。

2012年3月8日にモデルの悠美さんと結婚。

2014年7月26日に第1子となる女児が誕生しています。

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小学校1年生で汎発性円形脱毛症

森本さんといえば、「明るい性格」「ムードメーカー」「目立ちたがり屋」といったイメージがあると思います。

しかし、幼いころは、人目を怖がるふさぎこみがちな子どもでした。

その原因は、小学1年生にかかった病気・汎発性円形脱毛症。

この病気で、突然、髪の毛、まつ毛、まゆ毛が抜け落ちてしまいます。

森本さんは「子どもの頃はとにかくこの頭がイヤでした」と話します。

それは「お風呂に入るときも帽子をかぶっていた」ほどだったそうです。

そりゃそうですよね。

多くの人は、違う容姿の人を見るとイジメをします。

そんな想像してしまったのでしょう。

森本さんは、当時通っていたテコンドー道場の合宿中のお風呂でも帽子かぶっていたそうです。

「お風呂でも帽子かぶるのかよ~」と周りに言われても、何も言い返せず、みんなの前では頭を洗いたくても洗えなかったとのこと。

学校では、珍しいものを見るような目で見られたり、太陽の光を鏡で反射させて頭に光を当てられたりの毎日。

知らない上級生から言われたのが「1000万ハゲ」。

いつもコソコソとしている学校生活だったそうです。

森本さんは、毎日が地獄に感じたでしょうね。

サッカー少年が野球との出会い

森本さんは、小学2年生のとき、荒川区立第六日暮里小学校に転校します。

第六日暮里小学校は、悪ガキもいなくて穏やかな学校で、クラスメイトと仲よくなることができたそうです。

当時は、森本さんの方が、かえってギスギスしていたようです。

ある日、森本さんを変える出来事がおきます。

「ひちょりちゃん、野球をやろうよ」

小学4年生のとき、仲の良かったクラスメイトに声をかけられます。

森本さんは、当時、隣町の少年団でサッカーをやっていました。

それは、サッカーが好きだった父親の影響で、森本さん自身もサッカーが好きだったからとのこと。

ですが、グラウンドが家から自転車で片道20分もかかるほど遠かったそうです。

また、ひとりで通うのも寂しく、仲のいい友だちもできなくて、チームになじめていませんでした。

それに加えて辛かったのがヘディング練習。

スキンヘッドの森本さんの頭に、勢いよく回転のかかったボールが当たると、地肌がねじれてものすごい痛みに襲われたそうです。

そんなときに誘われた野球。

ヘディング練習から開放されるのと同時に、試合中ずっと帽子をかぶっていられることが何よりうれしかったそうです。

また、チャレンジ精神旺盛な森本さん。

それらがうまく重なって、のちのプロ野球選手をつくるきっかけとなったんですね。

野球を始めた森本さんは、どんどんのめり込み、周りから認められる存在となります。

森本さんは「他のチームとの試合前のあいさつのとき、一瞬だけ帽子を取ります。僕の頭に気づいた対戦相手の子たちからクスクスと笑い声が聞こえることもありましたが、いいプレーをしていれば笑われなくなっていくのも子どもながらの発見でした。」と話します。

また、「何かに夢中になっているときだけ、悩みは気にならなくなっていました。僕は野球を通じてそれを体験しました。何かに悩んで、前に進めなくなったら、好きなこと、夢中になれるものに打ち込むのがいいです。そうすれば自分を変えるきっかけをつかめます。悩んでいるヒマもなくなります。打ち込めるものが見つからないときでも、とりあえず何かをやってみる。何もやらなければ『0』は『0』のまま。『0』を『1』に変えられれば、その先に続く、『2、3、4』が見つかるかもしれません。」と語っています。

これは、森本さんが成功者だからと思われるかもしれません。

ですが、何もやらなければ、何も進みません。

自分に合うものを何度も見つけるチャレンジをすることは大事だと思います。

チャレンジし続ければ、きっと何かが見つかります。

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悲劇のヒーローだという勘違い

当時、森本さんの父親は「お前は五体満足だ。髪の毛がないだけだろ」と何度も言っていたそうです。

ですが、病気のことで心底悩み、他人の目を気にしてふさぎ込むことが多かった森本さんにとって、それは理解できなかったそうです。

父親とは、焼肉屋で深夜まで働いていたこともあり、ゆっくり話す機会がなかったとのこと。

いつか理解できるだろう、と父親は何度も同じフレーズを言ったのかもしれませんね。

ですが、森本さんは、「世界には難民がいて、こんなにつらい人たちがいるんだ」などと、いろいろな境遇の人たちを学校の授業で少しずつ知っていくうちに、自分なりに理解できるようになっていったそうです。

「もしも父が僕に言葉をかけてくれていなかったら、『オレは悲劇のヒーローなんだ』と勘違いしていたかもしれません。」と森本さんは話します。

人は、他人と比較したがるもの。

それに気づくにはどうしても時間がかかりますよね。

ましてや、小学生ですし。

森本さんは「病気のおかげで人としてひと回り大きくなれた」とも語っています。

誰もが、そうは思えないと思います。

言葉だけでは表現できない、それだけの努力があったから言えることです。

そのためには、チャレンジが必要ですよね。

汎発性円形脱毛症を克服

奇跡はある日突然やってきました。

あこがれだったあそこの毛がついに生えてきたのです。

ですが、また抜けるんじゃないかという恐怖心があったそうです。

森本さんは、植物の成長を見守るかのように観察していたとのこと。

これにより、部活後のシャワー室での態度も変わっていったそうです。

やっとみんなと同じようになったので、うれしかったんでしょうね。

でも、生えるようになってからは自分で切りそろえたり、剃ったりしていたようです。

そのほうが軽い感じがして、なんとなく具合がよかったからだとか。

毛がないことに慣れてしまっていたからもあると思います。

今は全身脱毛する人が増えていますが、森本さんはその走りだったんですねww

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なぜスキンヘッド

高校に入り、ついに髪の毛が生えてきました。

森本さんの中では、「もう髪の毛なんて生えなくていいや。これが帝京の森本だ!」というスタイルを確立しようとした矢先だったそうです。

そのように前向きになり、ストレスを感じなくなったので、髪の毛が生えてきたのかもしれません。

しかし、生えてきた髪の毛は、森本さんの想像のものと違っていました。

くるくるの天然パーマだったそうです。

スキンヘッドだったのが、天然パーマに。

森本さんとしては、ギャップがあったのか「なんで、ここにきて生えてくるの?」という思いがあったようです。

結局、森本さんは毎日T字カミソリで頭を剃る選択をします。

キャラを大事にしたんですね。

銭湯に行くと、その行為を見た人が「血、出ないんですか?」と聞かれるそうですが、「何年、剃っていると思っているんですか。愚問ですよ」と笑顔で返しているそうです。

汎発生円形脱毛症とは

汎発生円形脱毛症の原因は、現代医学では明らかになっていません。

森本さんの場合、「『髪の毛なんか関係ねぇ!』と野球をがんばったから」と語ります。

何かに夢中になれるものを見つけることは大事なんですね。

また、森本さんはこのように話しています。

 心にブレーキをかけ、治るのを妨げていたのは、僕自身だったといえます。
 頭のせいで、からかわれたり、イヤな目で見られたりして傷ついてきた僕ですが、病気のことを一番イヤがっていたのは自分自身だったのです。
 小、中、高校時代の友だちは、『ひちょりは病気のことを気にしているみたいだから、そういう話はしないでおこう』と、気を使ってくれていたと思います。そういうかたちで、みんなが応援してくれていたのに、僕は周りが見えず、心のブレーキを『ぎゅーっ』と踏み続けていました。
 かつての僕と同じように、病気で悩んでいる人や、何らかの神経性の病気で苦しんでいる人がいたら、僕は『ブレーキをかけているのは君自身かもしれないよ』と伝えたいです。病を受け入れて前に進んでいけば、いつか振り返ったときに『なんであんなことで悩んでいたんだろう』と思えるでしょう。
 思い込みのブレーキをはずし、悩み事をさほど気にせず済むようになった瞬間に、体はきっと反応してくれます。心と体は、緊密につながっているのですから。

人は、自分で自分を追い込んでしまいます。

周りを見渡せば、助けてくれる人は必ずいます。

ひとりで悩まず、相談することは大事ですね。

そうすれば、ブレーキを外す糸口とが見えてくると思います。

プロ入りしたときの森本さんの入団会見は、完全にブレーキを外しています。

「スキンヘッドの森本稀哲です!」

18歳の未成年が、スキンヘッドをアピールして、周りに顔と名前をいち早く覚えてもらう挨拶。

自分のかつての病気を逆手にとって、人気者になった森本さんはスゴいと思います。

おわりに

明るい森本さんの、幼いときの悩みからスキンヘッドにしている経緯をお話しました。

森本さんの考え方は、病気だけではなく、いろんな悩みにも共通していえると思います。

知らず知らずにかけてしまう心のブレーキ。

冷静に自分を見つめ直してみるのもいいかもしれません。

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