野沢直子父親の顔画像(名前)や職業(会社事業)は?競馬予想で成功?

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タレントの野沢直子さん(54)が22日放送のTBS系バラエティー『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』(毎週金曜 後9:00)に出演しました。

2時間スペシャルとなった今回、野沢さんの父の隠し子発覚を始めとする破天荒なエピソード、初めて妹に会うために、タイ・バンコクに行く様子を伝えています。

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野沢直子の父親とは?

野沢直子さんの祖父は、陸直次郎(くが・なおじろう)さん。

直木賞候補になったことのある作家です。

祖母は、小唄の師匠。

また、父親の弟は、声優・演出家の野沢那智(のざわ・なち)さん。

アラン・ドロンやアル・パチーノ、山田康雄さんが逝去して以降のクリント・イーストウッドの吹き替えをされています。

そして、父親が野沢直哉さんです。

野沢直子さんは、東京・人形町の出身。

幼少のころ、四畳半の長屋で育ちました。

家族は5人。

かなりの人口密度ですね。

生活は、かなり苦しかったようで、カラーテレビが普及している時代も白黒テレビを見ていました。

なぜ、お金がなかったのか?

直哉さんは、人の下では働けない人だったからだそうです。

キャンブラーのような性格もあり、仕事ではいつも一発を狙っていました。

ある日、直哉さんは、朝鮮人参ジュースを独自に完成させました。

そして、大量生産をします。

しかし、全く売れません。

仕方なく、売れ残った朝鮮人参ジュースは、3年かけて家族で飲み干したそうです。

小さい子には、厳しい味だったようですね。

また、ハゼドンというアニメが流行ったとき、直哉さんはヒラメキました。

ハゼの天ぷらをご飯にのせたハゼ丼を思いついたのです。

そして、飲食店までつくり、勝負にでます。

ですが、全く流行らず、あえなく閉店。

そんな直哉さんなのですが、野沢直子さんの母・勝美さんは、何一つ文句を言いませんでした。

文句どころか、「パパはいつか絶対成功する」「何も心配ない」と大絶賛。

直哉さんは、勝美さんのお陰で、伸び伸び仕事ができました。

しかし、直子さん小学6年生のある日、突然直哉さんが家に帰らなくなります。

勝美さんは、直哉さんが疾走しても、全く心配しません。

まさか、女性のところに行っているとは予想していませんでしたし。

ただ、収入がなくなったので、このままでは直子さんの中学の学生服が買うことができません。

直子さんは、どうなるのだろうと思っていた矢先、髭をボウボウに伸ばした直哉さんが、突然帰ってきました。

しかも、直哉さんは全く悪びれていません。

勝美さんも、何事もないかのように、いつもどおり振る舞っていたそうです。

父親の大成功

そんな直哉さんが、成功を収めたのが競馬予想。

直哉さんは、競馬が好きで、いつも競馬新聞を読んでいました。

そこで、競馬予想屋を始めました。

それは、会員制で、電話により予想を伝えるというもの。

一見怪しげですが、ネットがない当時は、こういったものがありました。

その走りが、直哉さんだったんですね。

この成功のお陰で、直子さんは無事制服を買うことができます。

それだけではなく、人形町の四畳半の長屋から、お手伝い付きの大豪邸に引っ越すことに。

一気に大金持となりました。

自宅も会社も、贅沢なものをたくさん置き、成金状態。

まさにジャパニーズ・ドリームです。

ですが、直哉さんのチャレンジ精神は、止まりません。

以前から興味のあった健康食品に再チャレンジ。

過去失敗した朝鮮人参ジュースに再び挑戦もしています。

また、自ら馬主にもなっており、競走馬など100頭以上の馬を所有していました。

1987年の有馬記念2位になったジェームスも直哉さん所有の馬です。

お金に余裕ができると、年末年始は3週間ほど帰らなくなります。

不思議に思った直子さんは、勝美さんに「パパはどこに行っているの?」。

勝美さん「東南アジアのどっか」

直子さん「知らなくていいの?」

勝美さん「大丈夫!ヨソに他の家族がいるのよ」

直子さん「マジで?」

勝美さん「わかんない」

直子さん、勝美さん「(笑い)ハハハハハハ」

と冗談のように笑って話をしていました。

ですが、これは冗談ではありませんでした。

母親の死去と父親の再婚

直子さん26歳のとき、母・勝美さんが亡くなります。

まだ悲しみの残る半年後、父・直哉さんは、直子さんを実家に呼びます。

直哉さんは、直子さんに「再婚させてくれ」。

直子さんは驚きます。

まだ、勝美さんが亡くなって半年ですから。

しかし、「1人でいるのもかわいそう」ということで承諾します。

すると、直哉さんは土下座し、「1歳の子供がいる。隠そうと思ったけど、オレとそっくりだ」。

直子さんは、あまりの破天荒に笑ってしまいます。

そのとき、直子さんは気づきました。

「他に女は本当にいたんだ」
「ママは知ってたんだ」
「笑っていうのはスゴイ」

そして、直哉さんは、新しい奥さんと子供を紹介。

東南アジアの人でした。

直子さんは、1991年28歳で、芸能界を休業します。

単身でアメリカに行きます。

そして、バンド仲間で知り合ったフランス系アメリカ人のギタリストのボブ・リンプ・オークライヤーと、知り合って3日で結婚。

直子さんも破天荒な人生を歩みます。

一方、直哉さんは、東南アジアの女性と数年で離婚。

直子さんが、休みを利用し、家族で帰国すると、今度は高校生の子供がいる日本人と再婚していました。

直子さんは、開いた口が塞がりません。

そして、数年後、直哉さんの奥さんは、43歳年下の日本人に変わります。

しかし、この女性とも結局協議離婚してしまいます。

直哉さんは、破天荒ではありますが、モテたんですね。

性格が豪快なので、惹かれたのでしょう。

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父親の死去

父・直哉さんの競馬予想会社は、経営が悪化し、人に譲ります。

直哉さんが、次に考えた事業は、痛み全般に効く薬の開発。

この薬は、馬と人間に効くというもの。

直哉さん70歳を過ぎての挑戦でした。

決して諦めない性格なんですね。

そして、その薬の名前は「ペイン」。

「ペイン」とは、日本語で「痛み」。

直子さんは、「このネーミングではダメだよ」と指摘します。

しかし、時すでに遅し。

直哉さんは、「ペイン」の意味を知らず、すでに1万本製造してしまっていました。

事業は、やはり失敗します。

このように、直哉さんは一生現役と思われました。

ですが、徐々に酒に溺れるようになります。

そして、一昨年の夏、直哉さんは、体調を崩します。

直子さんは、お見舞いのため帰国。

しかし、そこにいた直哉さんは、以前の直哉さんではありませんでした。

いつも髪の毛を染め、オシャレに気を使っていた直哉さんは、元気がなく、真逆でした。

直哉さんは「弟やみんな、死んでしまって、さみしくなっちゃってさ」。

そして、重度の肝硬変となり、長期入院となります。

直子さんは、一旦帰国。

すると、2週間後、直哉さんの容態が悪化。

直子さんの弟から、今日か明日がヤマ場と連絡が入ります。

飛行機に乗っての帰国では間に合いません。

そこで、ビデオ電話をします。

直子さんの夫・ボブさんの現在の仕事は看護師。

ボブさんは、直哉さんの様子を見て、すぐに状況を把握しました。

直子さんにボブさんは「楽しい話をして最期にしよう」。

我を見失いかけた直子さんは、直哉さんとラスベガスでの旅行の話をします。

「パパ、ラスベガスで10万をポンってくれたよね。そうしたら、すぐに1万返してくれって。理由は1000万負けたからって」

直哉さんの隣にいる弟さんは「1000万って?」と笑いを誘います。

そういった楽しい思い出話をしながら、ビデオ電話中、直哉さんは息を引き取りました。

享年81歳でした。

タイに隠し子

翌日、直子さんは帰国。

すると、空港で弟さんからLINEが入ります。

「俺の姉。姉ちゃんの妹。タイにいた。親父の子どもが、もう一人いた。」
「名前はルンルン」

直子さんは、「ルンルン」にハマったようで、大笑い。

こうして、衝撃な真実を知ることになります。

直哉さんの葬儀では、親戚にこの隠し子について公表します。

すると、そこでも大笑い。

「直哉さんらしいな」

隠し子も許されるキャラだったんですね。

気になるのが、遺産の分与。

子どもの数は多いのですが、これだけの財を築いた男です。

一体どれだけ遺産があるのか?

預金通帳を見た直子さんたち兄弟は、驚きます。

残高1000円。

またも、みんなで大爆笑。

あれだけ稼いでも、全て使い果たしていました。

最期まで破天荒ですね。

ところで、ルンルンさんには、直哉さんが亡くなったことを連絡したのでしょうか。

直子さんは、携帯のメモリーに残った「BK(バンコク)ルンルン」に連絡するなど、手を尽くしましたが、結局連絡はつきませんでした。

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愛人との面会

愛人との面会

直哉さんの愛人の名前はナパポンさん。

異国の地にいる妹へ会いにいく姿を密着させてほしいという番組の申し出を、直子さんは、当初は断っていました。

直子さんは「嫌われているかもしれない。会うとそのことが本当になってしまう。最悪な結末、絶縁されるかも」という不安がありました。

しかし、直哉さんの死から2年が経ち、気持ちの整理がついたことから、ルンルンさんとの面会を決めます。

タイへ向かう前、直子さんは「第一に会ってくれるのかな」「会って考えたら何話すのか」「怒ってたらどうしよう」「行っていいのか」と不安が蘇ります。

そして、直哉さんが残した住所を頼りに、愛人ナパポンさんに会うことができました。

直子さんら家族を消魂しく思っていないか、という不安も、ナパポンさんは笑顔で受け入れてくれます。

ナパポンさんは、直哉さんが如何にも好きそうな顔で、少し日本語がしゃべることができました。

馴れ初め

直哉さんとナパポンさんとの馴れ初めは、1976年、留学で来日していたときに働いていた食堂でした。

直子さんが13歳のときです。

直哉さんが競馬予想で成功している時ですね。

日本に来て間もないナパポンさんの食堂に、酔った直哉さんが来店しました。

ナパポンさんを気に入った直哉さんは、ナパポンさんをしつこくデートに誘います。

そして、2人は付き合うことに。

デートは、毎週土日に渋谷で。

直子さんは、当時、競馬のため仕事に出かけていると思っていました。

競馬予想という仕事がちょうどよかったんですね。

また、直哉さんは、ナパポンさんを会社に連れていったりとかもしていました。

競馬に行ったり、売上の集計をしたりといった手伝いもしていたとのこと。

この時点で、かなり深い関係ですね。

気になるのは、ナパポンさんは、自分が浮気相手と知っていたかどうか。

ナパポンさんは、付き合う当初から直子さんの写真を見ており、知っていました。

ただ、奥さんとは離婚をしていると伝えていたとのこと。

直哉さんは、ナパポンさんのために、ビザをとったりアパートを借りており、かなり本気だったようです。

直哉さんの持っている馬に、ナパポンと名付けるほどです。

愛人の妊娠

1982年、ナパポンさんは、妊娠6ヶ月で出産のため帰国します。

直子さん19歳のときです。

そして、直哉さんは、タイに頻繁に行っています。

それどころか、家を構えています。

ナパポンさんが以前住んでいた家は、頭金はナパポンさんが払いましたが、残金は一括で直哉さんが払っています。

その額700万円。

現在、タイの物価は4分の1程度だと思います。

当時の物価とは違うと思いますが、相当な額ですよね。

直哉さんは、タイではナパポンさんと一緒に散歩をしたり、ジョギングをしたり。

家では米を炊いたりとかもしていたとのこと。

食事は、納豆、鮭、ステーキ、天ぷらと日本と同じように好物を食べていました。

現在ナパポンさんは、笑って話をしていますが、当時は辛かったようです。

勝美さんが亡くなったことも、その後何度も結婚していることも知っていました。

もちろん直子さんのことも。

当時は、自殺も考えたとか。

しかし、誰がこの子を育てるのかと思いとどまったそうです。

ですが、毎日泣いていたとのこと。

そんな直哉さんのことを、ナパポンさんは頭がいいと言います。

これだけ酷いことをしていても、怒らせない。

面倒をみる責任感がある。

こういったところに、惹かれたようです。

直子さんはナパポンに「結婚しないのですか?」と聞きます。

ナパポンさんは「直哉さんに一生一緒にいようと言われた。直哉さんが亡くなっても結婚はしない。直哉さんとの思い出をなくすから」

直哉さんは幸せだったんですね。

また、直哉さんは、ルンルンさんを溺愛し、よく遊んでいたそうです。

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隠し子との面会

隠し子との面会

直子さんは、ルンルンさんと対面します。

ルンルンさんは、温かく迎え入れ、2人は抱き合います。

対面した場所は、直哉さんとルンルンさんがよく来たお寺の前。

2人でいつもお祈りをしていたそうです。

直子さんは「宗教は好きじゃないって話していたけど」。

直哉さんは、タイでは勝手が違っていたようですね。

隠し子の名前

ルンルンさんには、本名があります。

「ルンルン」はニックネームなんだそうです。

本名は「ピッシーニーヤー・ノザワ」。

なんと「ノザワ」を名乗っていました。

現在は結婚したため、「ノザワ」ではなくなっていますが、「野沢」を受け継いでいました。

これには、直子さんも感動。

「なんか嬉しくなっちゃった」と涙を滲ませました。

隠し子の事実を知っていたのか?

ルンルンさんが、直哉さんに日本の家庭があることを聞いたのは、10歳のとき。

それを聞いても、嫌ではなかったそうです。

それほど、直哉さんのことが好きだったのでしょう。

直哉さんは、何でもオープンに話していたそうで、週間紙を見せて、直子さんの活躍ぶりも語っていたとのこと。

直子さんは、自分がお笑いだったことに対し「嫌だったでしょ?」と聞くと、ルンルンさんは「全然嫌じゃなかったです」。

お笑いで成功している直子さんは、直哉さんにもルンルンさんにも自慢だったのかもしれません。

思い出は

ルンルンさんの直哉さんとの思い出は、パタヤでジェットスキーや船で遊んだこと。

ちなみに、直哉さんは、船も所持していました。

ジェットスキーでは、激しく運転して、喜ばそうとしていたようです。

ですが、ルンルンさんはそれが怖くて泣いていたそうです。

同じ経験を直子さんもしており、「そうそう」と頷いていました。

他にも、一緒に祭りを過ごすなど、思い出はたくさんありました。

隠し子は父親と似ている?

直子さん曰く、ルンルンさんは、直哉さんと似ているそうです。

特に目が似ているとのこと。

ルンルンさんは、鼻が似ていると自覚しています。

スマトラ地震では?

2004年のスマトラ地震のとき、直哉さんは、タイまで、ナパポンさんやルンルンさんに会いに来ていたそうです。

直子さんは、それを知らず、「混乱のさなか、なんで行くの?」と直哉さんに怒っていたそうです。

ルンルンさんは、直哉さんは「携帯の電源を切っていた」と話します。

これは、笑えますね。

ルンルンさんは、直哉さんが来てくれたことで、安心できたそうです。

不安なときですから、この訪問はうれしかったでしょうね。

隠し子が父親と最後に会ったのは?

ルンルンさんが、直哉さんと最後に会ったのは、2006年。

当時、キャビンアテンダントをしていたルンルンさんが来日した際、会ったそうです。

その9年後、直哉さんは亡くなっています。

ちょっとさみしいですね。

隠し子の父親への思い

ルンルンさんは、直哉さんのことを、「プレイボーイ」「浮気者」「酒飲み過ぎ」「タバコ吸いすぎ」など嫌なところもあったが、

「父は愛しい人」

と言っています。

直子さんもこの言葉に「一緒かな」。

また、「もう一度会いたい」とも話しています。

隠し子は父親が亡くなったことを知っていた?

ルンルンさんは、直哉さんが亡くなったのをいつ知ったのでしょう。

それは、亡くなって3ヶ月後とのことでした。

電話番号が変わっていたので、なかなか連絡がつかなかったそうです。

最後に直哉さんの顔を見たかったでしょうね。

隠し子と野沢直子の子育て論

ルンルンさんは、現在34歳で、結婚しており2人の男の子のお母さん。

お互いの子どもについての話となります。

ルンルンさんは、直子さんが2ヶ月前に始めたばかりのInstagramを見ていました。

直子さんは、Instagramに娘・真珠さんのことも書いていましたので、ルンルンさんは、真珠さんのことを知っていました。

格闘技で活躍していることも。

ルンルンさんは、「子どもには好きなもの、没頭したいものをやらせている」と言います。

直子さんも、真珠さんが好きな格闘技をしていることに、一切反対していません。

「お父さんに言われてことを実行していて同じことを考えているんだ」「(私と)同じ思いでスゴイ」「同じお父さんの子どもなんだなー」と直子さんは語ります。

直子さんは、直哉さんに「女だから結婚すればいいってもんじゃない」と言われていたそうです。

だから、直子さんも一流の芸人として成功したんでしょうね。

他にも隠し子?

最後、ナパポンさんから衝撃の話がでます。

直哉さんは、ナパポンさんには、全てを話していました。

ナパポンさんの話によると、直哉さんにはもう1人子どもがいるとのこと。

整理してみましょう。

直子さんの母親・勝美さんには、直子さんを含め3人。

2番目の東南アジア人には、隠し子が1人。

3番目の日本人には、連れ子が1人。

4番目の43歳年下日本人には、子どもはいない。

そして、ルンルンさん。

ちなみに、ルンルンさんは、2番目の東南アジア人の隠し子より年上です。

ここまでは、直子さんが知っている範囲です。

ですが、ナパポンさん曰く、入籍をしていない5番目の妻がいるとのこと。

さらに、17か18歳の男の子どもが1人いるというのです。

直子さんは、パニック状態。

今後、その子どもを追跡するのでしょうか。

直子さんは、今の時期しか帰国しないので、この続編は来年となりそうです。

話題に欠かないですね。

おわりに

直子さんは、血のつながりの不思議を、今回体験したようです。

会ったことがなくても、同じ考えを持っていたルンルンさん。

DNAのスゴさですね。

気になるのが、新たに発覚した隠し子。

来年が楽しみですね。

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